しごと選び Vol.6:特別支援学校の保健体育科教諭


  • 2018年9月19日
  • Leonine
社会で活躍する口唇口蓋裂疾患者ご本人による、キャリア選択ストーリー。Vol.6は特別支援学校 保健体育科教諭のご紹介。
選択のきっかけは辛い治療の入院中に知った「自分よりもっと大変な人がいる」という事実、「もっと大変な人たちのサポートをしたい」という気持ち。置かれている状況に本気で向き合いやり遂げる、その積み重ねが将来やりたいことに繋がってくる。

自己紹介

TOSHIHIRO

1987年東京都生まれ。先天性片側口唇口蓋裂で身体障害者手帳2種4級。

体育大卒業後、福祉型障害児入所施設等を経て、現在は保健体育科教諭として特別支援学校に勤務する。

 

特別支援学校における教諭の仕事とは

特別支援学校では、体育以外にも国語や数学、職業などの授業も担当します。

放課後は部活動での指導もあります。各障害や生徒の実態に応じて指導方法や関わり方も変わってきます。

学校教育の現場では生徒と関わりながら、専門的な知識だけでなく、一人一人に応じた指導が大切になってきます。

 

きっかけは辛い入院生活で知ったある事実

私の母が元高校の体育教諭ということもあり、私も体育教諭になるために体育大に進学しました。

そんな私が障害分野の道に進むきっかけとなったのが、大学2年生の時にした上顎を前に出す手術でした。

 

手術後から1日2回、ボルトを半周ずつ回して、上顎を前にだしていくのですが、、、

さすがに男性の私でもベッドの上でシーツを握り締め、枕を拳で叩き、終わらない痛みに耐える入院生活でした。

入院中の楽しみというと食事ですが、経鼻経管での流動食で徐々に気持ちは下がり、看護師さんについつい弱音を吐くと、

「集中治療室に行ってごらん、あなたよりももっと大変な人が頑張ってるんだよ」。

この言葉は、病室で悲劇のヒロインかのように思い込んでた私に、もっと大変な人がいる事実を突き付けられた瞬間でした。

こんな私でも世のため人のために、私よりももっと大変な人たちのサポートをしたい。

 

それからすぐに大学の研究室の扉を叩き、国内外の障害者スポーツ大会でボランティア活動に携わってきました。

いつしか、仕事でも障害者と関わりたいと思うようになり、頭で自分が特別支援学校で働いた姿をイメージした時、

障害のあるお子さんの家庭での様子や親御さんの大変さを知らずに、特別支援学校の教諭として働き続けるのはちょっと違うと感じ、

大学卒業後は365日24時間ケアを必要とする福祉型障害児入所施設に就職し、生活支援に携わりました。

そして、障害福祉関連で児童期から成人期の支援を経て、現在は特別支援学校で教諭として勤務しています。

 

一人一人の目標に向かった支援で得られるやりがい

学校に通っている生徒が将来自立できるように指導を行っています。

そのため、これまで培ってきた能力を引き出し、卒業後の社会生活で活かせるようにしてあげることが大切です。

一人一人がみんな違いますので、個々に合わせた目標設定をし、その目標に向かって支援をすることで、

一つ一つの成長を目の当たりにすることができます。

生徒の成長する姿や目標を達成した時には、私にとって大きなやりがいになっています。

 

これまで苦労したことは・・・

やはり中耳炎ですね。

その頻度と痛みは成長と共に徐々に減っていきますが、

全ての手術が終わった後も付き合っていくのが中耳炎なのかなと思います。(※個人差はあると思います)

幼少期は水泳教室やミニバスなどに通う活発な子どもでしたが、中耳炎になるたび、

運動に制限がかかり、しばらく身体を休めて安静にしないといけないことも多かったです。

身体は元気なのに、些細なことで中耳炎になりやすく、子どもながらに辛かったと振り返ります。

 

今目の前にある全てのことが将来に繋がっていく

将来こんな仕事がしたい、こんなことがやりたいと思った際に、

そこに向かって直線で結びつけずに、色々なことにチャレンジしてみてください。

将来のキャリアプランを考えながら逆算することは大切ですが、人生を一本の直線で結ぶ必要はありません。

例えば、ボランティア活動や海外旅行、あるいは浪人生活など、

将来なりたい職業ややりたいこととは一見無関係に思えても、

今、目の前にあること、今やりたいこと、置かれている状況等に対して一つ一つに本気で向き合い、

やり遂げること、その積み重ねがあなたが将来やりたいことに繋がってくるのです。

 

 

TOSHIHIRO

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